評価:★★★★★
オウムみたいな人間たちが出てこざるを得なかった社会風土というものを、私は既に知っていたんです。日々の勤務でお客様と接しているうちに、それくらいは自然にわかります。(本文引用)
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先日、一連のオウム真理教事件死刑囚らに対し、死刑が執行されました。
彼らの殺戮行為は決して許されることではなく、私は「死刑は当然だ」と思っています。
でも私は実際の被害者でもありませんし、家族が被害に遭ったわけでもありません。
よって、この「死刑執行」をどうとらえればよいのか、ずっと戸惑い悩んでいます。
新聞で、ご遺族の方々の声を読むと「もっと真相を究明してほしかった」というものも。
サリン事件で失われた様々なものは、いくら現在健康に過ごしていても、決して取り戻すことはできません。
元気になったからといって、完全な原状回復などない。
あの事件を「なかったことにする」ことなど、できるはずはありません。
ましてや家族を亡くしたり、未だ後遺症に悩んでいたり・・・そういう方々はこの「死刑執行」に対し、どう感じ、どうとらえているのか。
私は、それを少しでも「わかりたい」と思い、本書を読みました。
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本書は、地下鉄サリン事件の被害者や、遺族へのインタビューを集めたもの。
営団地下鉄の職員をはじめ、通勤中のサラリーマン、通学途中だった高校生、そして亡くなった男性のご両親と奥様等々、62人の体験が収録されています。
地下鉄サリン事件が起こった瞬間の様子は、どの人も共通。
電車に乗っている最中、マニキュアのような、シンナーのようなニオイがした。
突然、近くの席に座っている人が倒れた。
けいれんをしている人がいた、尋常じゃない量の泡を吹いている人がいた。
辺りが暗くなったので照明を落としたのかと思ったら、自分の目がおかしくなっていた。
降りた駅のトイレで鏡を見たら、驚くほど自分の目が小さくなっていた。
逃げているうちに、自分も苦しくなり意識を失った・・・。
異臭・人が次々と倒れる・目がおかしくなる(縮瞳)は、ほぼ全てのインタビュイーが語っています。
さらに細かく読んでみると、サリンの影響の「尋常じゃない甚大さ」が浮き彫りに。
症状が軽く帰宅した人が、その日着ていた服を、家のハンガーに。
そのうち、子どもたちが頭痛を訴えはじめます。
服にしみついたサリンの成分が影響していたのです。
62人の症状は軽重の差がかなりあり、その分、事件への思いもさまざま。
生死の境を何日間もさまよった人、数ヶ月入院したという人、仕事へのやる気が起こらず退職した人・・・。
サリン事件を克服したことを確かめたくて、現在あえて同じ車両に乗る人。
逆に、未だに「あの車両」には乗ることができずにいる人。
「さっさと死刑にして始末してほしい」と言う人、「死刑になることで事がうやむやになるのでは」と危惧する人。
被害の状況や被害者の性格、ライフスタイルは千差万別。
「アンダーグラウンド」は、地下鉄サリン事件の影響が「人の数だけある」ということを明確に示しています。
犯人の行動は、絶対に許されるものではありません。
それは間違いありません。
でも「許さないからといって、果たしてどうすればよいのか」「自分の人生とどう折り合いをつけるのか」となると、そこからは正解が見えないもの。
「アンダーグラウンド」は、被害者1人ひとりの人生や性格を細かく綴っていくことによって、「この事件には、誰もが納得する本当の解決などない」ということを突き付けているのです。
ただ、この本でひとつだけわかったことがありました。
それは私自身も、そして誰もが、実行犯になる可能性を持っているということです。
ではどうすれば、自分が加害者にならずにすむのか。
本書を読むかぎり、その手立ては2つあります。
その2つとは、
「自我および自分の人生」を他人に預けないこと。
「他者に尊敬の念をもって関心を示すこと」。
「絶対的な暴力」を犯す人間にならないようにするためには、この2つがとても重要・・・いえ、重要どころか不可欠なんです。
まず「他者に尊敬の念をもって関心を示すこと」について。
サリン事件の被害者を苦しめているのは、実行犯だけではありません。
目に見えにくい、サリンの後遺症。
周囲の人々の「無理解」は、さらに被害者の心と体、そして生活を追い詰めています。
なかには、助かった人に対して「貴重な体験をしたな」などと無神経なことを言う人も。
サリン事件の被害者を苦しめるのは、実行犯だけでなく、周囲の「普通の人々」でもあるのです。
特にハッとさせられたのは、営団地下鉄職員のインタビュー。
多くのお客さんと接する彼は、「オウムのような人間が現れても不思議ではない」と主張。
駅職員が掃除をしたそばで、ゴミやたばこの吸い殻を捨てる人。
他人の悪いところだけを見て、自己主張する人。
そんな人がはびこる風土が、地下鉄サリン事件を作る土壌となったと語ります。
また被害者のなかには、倒れた自分のわきを無関心に通りすぎる人を何人も見た・・・という人も。
オウム真理教事件は極端な例かもしれません。
でも「自分のことばかり主張して、他人を蔑ろにする」という身勝手さが、サリン事件のもと。
すなわち、誰でもオウム事件の加害者になりうるのです。
そしてあとがきでは、村上春樹が「オウム真理教に入るまで」の加害者の心理を分析。
自我の確立が何らかの影響で阻害され、社会とのバランスがとれずにいるときの「心のスキ」に言及しています。
人は自我と社会とのバランスをとりながら生きています。
自我を客観的に見つめ、社会とすり合わせをするから、社会生活を送っていけます。
でもそれができずにもがいている時、「自分の自我」を預かってくれる人が出てきたら-。
自分の物語を作ってくれる人が現れてしまったら-。
自分の自我を預かってくれた人に「サリンをまけ」と言われたら、まいてしまうのです。
実行犯のなかには、電車内の女性や子供の姿を見て、「一瞬心が揺らいだ」という者もいます。
でも彼は勝てなかった。
「自分という人間」を、そして「自分の人生」というものを譲渡してしまった「教祖」の指示には勝てなかったのです。
誰の心の奥底にも、「絶対的な暴力」をおかす要素がある。
そんな自己のなかのアンダーグラウンドを自覚し、自我と他者・社会とのバランスをとっていく。
それを意識して生きるか否かが、加害者になるか否かの分かれ道なる-62人の声は、そんなことを命がけで教えてくれています。
「死刑執行」が事件の再発防止になるかどうかはわかりません。
でも本書のインタビューは、間違いなく再発防止に寄与するもの。
我々に潜む「犯罪の火種」を気づかせてくれたことには、感謝してもしつくせません。
勇気を出して事件について語ってくれた方々に、改めて心から敬意を表します。
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