乃南アサ「水曜日の凱歌」。戦争の本当の地獄は戦後から始まった。
評価:★★★★★
「すうちゃん、日本になくてアメリカにあったものは、何だと思う?男にあって、女にないものは何だか分かる?」
(本文引用)
______________________________
____________________________________
時は太平洋戦争真っただ中。
14歳の鈴子は、母親と二人暮らし。
事故で父親を、戦争で兄や姉妹を失った。
終戦後、鈴子の母は、ある仕事を紹介される。
それは通訳。
鈴子の母は英語が堪能なため、米軍と日本人との通訳を任されたのだ。
しかしその仕事場は、女にとって地獄の場所。
進駐軍を相手とする、特殊慰安施設だった。
___________________________________
よく「戦争の爪痕」などというが、本書を読むと「爪痕」なんてものではない、と強く感じる。
戦争が及ぼす傷は、爪痕のように狭く浅いものではない。
すぐ消えるようなものではない。
傷の範囲はとてつもなく広く、底が見えないほど深い。
そして何年も何十年もジュクジュクと膿みつづけ、永遠に消えることはないのだ。
慰安施設で、毎日毎日尊厳を凌辱される女性たち。
「戦争で負けたんだから仕方がない」と、言われるがまま、なされるがままに「敗戦国としてのふるまい」を強制される女性たち。
彼女たちの心・体に残った傷が、癒える時など来るのだろうか?
私は女性として、身を震わせながらページをめくった。
特に衝撃なのは、女性たちが徐々に変わっていく様子だ。
最初は抵抗のあった女性たちが、次第に率先して行うようになる。
主人公・鈴子の母親もそう。
彼女は慰安婦ではないが、男性に対する認識が知らず知らずのうちに変容し、鈴子の心を傷つける。
戦争は深く静かに人格を駆逐し、1人ひとりの人生を破壊していく。
そんな「戦争の見えない罪深さ」に、私はただただ恐れおののいた。
「戦争を語る」「戦争を知る」となると、どうしても原爆・空襲・特攻隊などに目がいきがちだ。
そして「戦後」となると途端に端折られ、一足飛びに「奇跡的な経済復興」といった話題になりがちだ。
まるで何事もなかったかのように。
だが戦争の影響は、見えない部分に広く深く潜んでいる。
焼け野原がなくなり、きれいな高層ビルがどんなに立ち並んでも、心に残る「戦争の傷」が消えることは絶対に、絶対にないのだ。
「水曜日の凱歌」を見ていると、戦争の途方もない罪深さに目まいがしてくる。
自分が女性ということもあり、途中、あまりの辛さに読むのを投げだしそうになった。
だからこそ「読んでよかった」と心から思う。
このまま読まずにいたら、私は一生「逃げる人生」「見たくないものから目を背ける卑怯な人生」を送っていただろう。
女性として、母として、娘をもつ身として、そして人間として、本当に本当に、読んでよかった。
「すうちゃん、日本になくてアメリカにあったものは、何だと思う?男にあって、女にないものは何だか分かる?」
(本文引用)
______________________________
これほど「己の無知」を恥じた本はない。
戦争は基本的に「男のもの」で、苦しむのは「戦中だけ」と思い込んでいた。
女性は空襲・原爆で死ぬことはあっても、兵隊にはとられない。
戦争が終われば、人々は安堵の顔を浮かべ、あとは平和に向かって邁進すぐだけ。
そんな風に考えていた。
しかし本書を読み、それがとんでもない大間違いであると知った。
ああ、戦争は男だけのものではない。
戦争の苦しみは、戦中だけのものではない。
女性も悶え苦しみ、命を賭した。
そして戦後は、さらに地獄が待っていたのだ。
戦争は基本的に「男のもの」で、苦しむのは「戦中だけ」と思い込んでいた。
女性は空襲・原爆で死ぬことはあっても、兵隊にはとられない。
戦争が終われば、人々は安堵の顔を浮かべ、あとは平和に向かって邁進すぐだけ。
そんな風に考えていた。
しかし本書を読み、それがとんでもない大間違いであると知った。
ああ、戦争は男だけのものではない。
戦争の苦しみは、戦中だけのものではない。
女性も悶え苦しみ、命を賭した。
そして戦後は、さらに地獄が待っていたのだ。
____________________________________
■「水曜日の凱歌」あらすじ
時は太平洋戦争真っただ中。
14歳の鈴子は、母親と二人暮らし。
事故で父親を、戦争で兄や姉妹を失った。
終戦後、鈴子の母は、ある仕事を紹介される。
それは通訳。
鈴子の母は英語が堪能なため、米軍と日本人との通訳を任されたのだ。
しかしその仕事場は、女にとって地獄の場所。
進駐軍を相手とする、特殊慰安施設だった。
___________________________________
■「水曜日の凱歌」感想
よく「戦争の爪痕」などというが、本書を読むと「爪痕」なんてものではない、と強く感じる。
戦争が及ぼす傷は、爪痕のように狭く浅いものではない。
すぐ消えるようなものではない。
傷の範囲はとてつもなく広く、底が見えないほど深い。
そして何年も何十年もジュクジュクと膿みつづけ、永遠に消えることはないのだ。
慰安施設で、毎日毎日尊厳を凌辱される女性たち。
「戦争で負けたんだから仕方がない」と、言われるがまま、なされるがままに「敗戦国としてのふるまい」を強制される女性たち。
彼女たちの心・体に残った傷が、癒える時など来るのだろうか?
私は女性として、身を震わせながらページをめくった。
特に衝撃なのは、女性たちが徐々に変わっていく様子だ。
最初は抵抗のあった女性たちが、次第に率先して行うようになる。
主人公・鈴子の母親もそう。
彼女は慰安婦ではないが、男性に対する認識が知らず知らずのうちに変容し、鈴子の心を傷つける。
戦争は深く静かに人格を駆逐し、1人ひとりの人生を破壊していく。
そんな「戦争の見えない罪深さ」に、私はただただ恐れおののいた。
「戦争を語る」「戦争を知る」となると、どうしても原爆・空襲・特攻隊などに目がいきがちだ。
そして「戦後」となると途端に端折られ、一足飛びに「奇跡的な経済復興」といった話題になりがちだ。
まるで何事もなかったかのように。
だが戦争の影響は、見えない部分に広く深く潜んでいる。
焼け野原がなくなり、きれいな高層ビルがどんなに立ち並んでも、心に残る「戦争の傷」が消えることは絶対に、絶対にないのだ。
「水曜日の凱歌」を見ていると、戦争の途方もない罪深さに目まいがしてくる。
自分が女性ということもあり、途中、あまりの辛さに読むのを投げだしそうになった。
だからこそ「読んでよかった」と心から思う。
このまま読まずにいたら、私は一生「逃げる人生」「見たくないものから目を背ける卑怯な人生」を送っていただろう。
女性として、母として、娘をもつ身として、そして人間として、本当に本当に、読んでよかった。