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「明日死ぬかもしれない自分、そしてあなたたち」あらすじ感想。コロナ禍でも「生きよう!」と前を向ける一冊。

ママ、あなたが、今、呼吸を止めてしまったら、ぼくが雷に打たれて以来、ずっとずっと、これだけの長い間耐えて来た甲斐がないじゃないか。
(本文引用)
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 今、人生で最大に「死は隣り合わせ」という気分に陥っている。
 理由はもちろん、新型コロナウイルス。
 
 父や祖父母が他界したときでさえ、ここまで死を身近に感じたことはなかった。
 今回のコロナ禍は、「悪化スピードの速さ」から、「明日死ぬかもしれない」という気持ちがゾワリ。

 さらに「万が一死亡した場合、家族が遺体と対面できない」という報道から、「いつ家族と会えなくなるかわからない」という不安にも襲われた。

 そこで読んでみたのが「明日死ぬかもしれない自分、そしてあなたたち」

 結論として「今読んで、本当に良かった」と涙ボロボロ。
 
 一人の人間の死は、他者にどれほどダメージを与えるか。


 「まさか」というような死は、どれほど家族に混乱をもたらすか。

 そしてそのどん底と混乱から、遺された者はいかに「生きるエネルギー」をみなぎらせていくか。

 その経緯を読みながら、「ああ、愛する人を突然喪うとは、何と過酷なことか」と号泣。
 さらに「ああ、人間とは何と力強く、愛に満ちた存在であるか」と嗚咽した。

 本書を読んだら、「明日は我が身」というビクビクしていた日が一変した。

 読んでよかった。
 本当に、読んでよかった。

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山田詠美「つみびと」で私が泣けない、泣かなかった理由。二児餓死事件から見る「虐待の真の罪人」とは?

評価:★★★★★

 二人には未来という名の希望を溜め込むための、大きな大きな袋があった筈ですのに。いったい、どこで、誰に奪われてしまったのでしょうか。
(本文引用)
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 「悲しすぎると、涙って本当に出ないんだな」
 「つみびと」を読み、私は産まれて初めて「涙は、悲しみが臨界点を越えると乾いて出ない」ことを体感した。

 私が本書を読み、涙を流さなかった理由はもうひとつある。

 泣いてしまったら、涙をこぼしてしまったら、この事件は他人事になってしまう。
 「かわいそうに。辛かったろうに」で終わってしまう。
 過去のこととして、涙とともに洗い流されてしまう。

 だから私は泣かなかった。
 心臓を突き破られるような痛み、苦しみを感じながらも、「この本で泣いてはいけない」と思った。


 絶望のうちに短い生涯を閉じた、桃太の言葉を借りれば、こういうことだろうか。 

 涙が自らの重みに耐えられなくなり、ぽろんと瞼からこぼれたりすれば、自分もまた一緒に転がり落ちて溺れてしまう。悲しみという湖で、あっぷあっぷするに違いない。そのことは、幼な子なりの独特の勘で解っていました。


 2010年に起きた、大阪二児置き去り餓死事件。
 「つみびと」は、この事件をモデルにしている。

 小説なのでフィクションではある。
 しかし虐待を扱ったノンフィクションや新書よりもはるかに、虐待の本質的な原因に迫っている。

 あれほど子どもをかわいがり、学資保険加入まで考えていた女性が、なぜ、子どもを死に至らしめたのか。
 冷蔵庫の電源を切り、ドアに目張りまでして、子どもを灼熱のマンションに閉じ込め、姿を消したのか。

 そして、事件の本当の罪人とは誰なのか。

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 山田詠美「つみびと」の366ページは、1ページ1ページ、一文字一文字全身全霊で、虐待の真犯人を世に問うている。

 だから私は泣かなかった。
 だって泣いてしまったら、自分は犯人ではない、ただの傍観者になってしまうから。
 
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■「つみびと」あらすじ



 琴音の娘・蓮音が逮捕された。
 子ども2人をマンションに放置し、死亡させたからだ。
 
 蓮音は世間で“鬼母”といわれ、そのバッシングは母の琴音にも。

 記者からは

 「あなたも、娘を捨てて出て行ったんじゃないですか?」


 「虐待は親から子に連鎖すると言いますからね」


 という言葉を浴びせられる。

 確かに琴音は子どもを置いて、たびたび家を空けていた。
 そして琴音は子どもの頃も、たびたび家を出ていた。

 父親の暴力、夫の暴力、そしてそれらに対し無力な母親、そして自分自身・・・。
 
 子どもを死なせてしまった蓮音と、薄紙一枚の違いで子どもを殺すまでは至らなかった琴音。

 彼女たちの人生はどこで違ったのか。
 「母のようにはならない」と誓い、幸せな結婚をしたはずの蓮音が、なぜ母親以上の罪を犯してしまったのか。

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 懲役30年という、虐待事件で異例の重い判決が出た「二児置き去り餓死事件」。

 そこに至るまでには、幾世代にもわたり積み重ねられ膨れ上がった、罪の種があった。
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■「つみびと」感想



 冒頭でも書いたが、「つみびと」は「涙が出ない小説」であり「涙を流してはいけない小説」だ。

 琴音も蓮音はともに、暴力、無視、放置、侮蔑、嘲り、邪見という環境のなかで育ってきた。
 愛され、大事にされることを知らないゆえに、自分を大事にすることがわからない。

 己の肉体を欲望の捌け口にし、ようやく「本当の恋愛」に出合えたと思っても、その愛をどう慈しみ育て維持すればよいのかわからない。

 だから「今度こそは」と思っても、すぐに「今度こそは」の生活を壊してしまう。
 砂浜に、砂で理想の家を作っては、わざと波に押し流すようにして壊してしまうのだ。

 その最大の犠牲になったのが、置き去りにされた二人の幼児。
 琴音、蓮音の絶望、絶望の連鎖の末、本当に「物理的な絶望」(灼熱のマンションで食糧・エアコン・冷蔵庫の電源もないまま目張りをされて放置)に追い込まれ、最後は泣く力もなく死に至り、腐臭を放っていく。

 幸せをつかもうとしてもつかもうとしても、つかみ方がわからず、どんどん転がり落ちていく様は、読んでいて本当に辛かった。
 読みながら、私まで蟻地獄に引き入れられるような感覚に陥った。
 
 それほどまでに辛いのに、涙がまったく出なかった。
 自分の臓物のなかで、涙がすっかり枯渇して、もう目から出るほど残っていない。
 読んで辛すぎて辛すぎて、体の外に出す前に、体内で涙が消費されてしまったのだ。

 それと同時に「これは泣いちゃいけないんだ」と、言い聞かせもした。
 「かわいそうに」「ひどい話だ」と泣いて憤るのは、実は非常に気楽で呑気な行為だ。

 誰かを憐れみ涙を流す行為には、時として「私はそんなことしないけど」という優越感がひそんでいる。
 
 「つみびと」を読んでいると、幼児虐待事件で「罪のない人物」などいないと、痛烈に感じる。
 罪がない人物は、虐待された子どものみ。

 周囲の大人、いや、世の中の大人は皆「つみびと」なのだ。

 まじめに結婚生活を送ろうとす人を、悪の世界に引き入れる者。
 己の価値観で相手を支配し、ストレスを与え、逃げ出したくなる心境に追い詰める者。
 いつまでも自立せず、居心地の良い環境に甘んじる者。
 誰かの否を血筋のせいにし、家族もろとも侮辱する者。
 相手のありのままを受け入れようとしない者。
 
 そして、

 事件に当事者意識をもたず、ただ非難する世間。

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 これらは全て、幼児虐待事件の罪人。
 「つみびと」の功績は、そんな「当事者意識」を世に持たせている点だ。

 実際に手をくだしてしまった人物だけが罪人ではない。

 私たちは直接触れていないだけ。
 実際に逮捕されるような行為をしていないだけ。

 たまたまそれだけで、刑務所に入っていないだけなんだよ。

 ・・・そんな事実を「つみびと」はズドンと気づかせるのだ。

 だから私は泣かなかった。
 泣いたら他人事になってしまうから。

 「つみびと」で泣いてしまったら、その瞬間、「自分に罪はない」と思ってしまう。

 そんな非情なこと、私にはできない。
                                             
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「ぼくは勉強ができない」

川の石を見てみると、上流にはゴツゴツとした石が多く、下流には丸くツルリとした石が多い。
これは、石が川に流され転がっていくうちに、水の力に削られたり、あちこちで多くの岩や石にぶつかって割れたりしたためといわれている。

人生も、そんなものかもしれない。

小さくふくよかでツルツルの赤ん坊が、自我の芽生えとともにあちこち突起物を出しながら川に飛び込み、そして苦難や喜びに削られながら大人になっていく。

今回の本「ぼくは勉強ができない」は、そんな石ころの冒険を描いた小説だ。
石の名前は、時田秀美。
自称「勉強ができない」男子高校生である。


彼は、「勉強ができることなどどうでもいい。いちばん大事なのはモテること。僕はモテるから、これでいいのだ」と常々うそぶいている。
「罪と罰」のラスコーリニコフよろしく「自分は特別」と思い込んでいる節がある。

そんな彼のことだから、常に周囲に対し斜に構え、突っ張る態度をとっている。

ところが周りには、そんな彼を削ろう(?)と、時に硬く、時に柔らかい様々な岩がぶつかってくる。

とにかく勉強一筋で学年順位ばかりを気にしている、秀美とは真っ向から価値観が対立する秀才君。
学年一可愛いといわれている女の子に恋焦がれつつも、恥ずかしくて告白できず秀美に相談する同級生。
男の子の目線を意識した行動ばかりとる女の子たち。
かたやモテモテの秀美になびかない美少女。
クラスメイトの自殺。
サラダのおいしい作り方に顔をほころばせながら、秀美のオアシスであり砂漠でもあろうとする恋人。
理想に燃えるだけに、一筋縄にはいかない秀美に苛立ちをかくせない教師・・・。

そして、時に激しく、時にゆるやかに、秀美を見守り包みながら人生の川を運んでいく母親と祖父。

そんな彼らを冷めた目でみる秀美だが、結局、彼らにもまれて教えられてばかりいる。

特に秀美のメンターとなっているのは、祖父である。

何かと人を馬鹿にした態度をとる秀美をたしなめる祖父。彼に対し、秀美は言う。

「おじいちゃん、誤解しないで欲しいけど、何かハンデを持っている人のことを馬鹿にしたりはしないよ。」(本文引用)

さあて、どうかな、と祖父は秀美を見守る。

そこで、事件が起きる。

同じクラスに、給食後、必ず残ったパンを集める女子生徒がいた。彼女いわく「家に来る鳥さんにあげる」とのことだった。興味のない秀美は、パンを渡したことはなかった。
しかし、それは実は、彼女の家族が食べるものだったのだ。彼女の家が貧しく、筆記用具も用意できず教師からそっと渡されていることを知り、不憫に思った秀美は半分ほど残した自分のパンを「鳥さんに・・・」と彼女に渡す。
その途端、彼女は秀美にパンを投げつけ、机に突っ伏して大声で泣き出したのである。

何が何だかわからずショックを受けた秀美は、帰宅後、祖父にこのことを話す。
「お前は彼女のプライドをつぶしたんだ」とやんわりと叱る祖父に、「悪意はなかったんだ」と秀美は弁解する。

そこで祖父は言う。

「悪意をもつのは、その悪意を自覚したからだ。それは、自覚して、失くすことも出来る。けどね、そんなつもりでなくやってしまうのは、鈍感だということだよ。」(本文引用)

秀美の足元が、自信が大きく揺らいだ瞬間だった。
自分がいかに、何も知らずに、何も知ろうとせずに、鋭いつもりがナマクラに生きてきたのかを痛感させられる事件だった。
秀美は自己嫌悪に陥るが、それにより、秀美という石がさらに削られ、美しくなったのは間違いないだろう。

そして最終章(除番外編)、「ぼくは勉強ができる」のなかの一幕で母親は言う。

「そうか、秀美もそういう時期か。ぼくは、勉強はできないけど、女にはもてるなんて開き直ってる場合じゃないわね。悩める青春なのね。素敵だわ。うん、おおいに結構、しっかり悩んで母に楽をさせてくださいね。」(本文引用)

「ぼくは勉強ができない」

この「勉強」とは、国語や数学を指すものではなく、人間についての勉強なのだろう。
「ぼくは勉強ができない」とは、秀美がそれを自覚しはじめたことから出た言葉だったのだ。

大小硬軟さまざまな岩に削られ、人生という長い川を運ばれていく秀美。

これからどんな岩にぶつかり、誰に運ばれていくかはわからないが、「ぼくは勉強ができない」と自覚しつづけるかぎり、彼はダイヤモンドになっていく。なる可能性を秘めている。
そんな気がしてならない。


プロフィール

アコチム

Author:アコチム
反抗期真っ最中の子をもつ、40代主婦の読書録。
「読んで良かった!」と思える本のみ紹介。
つまらなかった本は載せていないので、安心してお読みください。

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