唯川恵「啼かない鳥は空に溺れる」感想。ラストが残念でひどい・・・だから読んで良かった。
評価:★★★★★
「愚図。のろま。頭が悪い。要領が悪い。下手くそ。役立たずはあっちに行って。かあさんの言葉で覚えているのはそれくらい。今は、私がそれを言っていいのよ。言ってあげようか」
(本文引用)
______________________________
だって「現実世界のラスト」はたいてい、絶望的なものだから。
ハッピーエンドなんて、世の中そうそう転がってないということを、私たちは知るべきだから・・・。
____________________________
千遥は30代前半の女性。
薄給の契約社員だが、愛人にお金を出してもらい、高級マンションに住んでいる。
千遥の実家は裕福だが、母親はいわゆる「毒親」。
ずっと千遥を罵倒しつづけ、弟だけを猫かわいがりしていた。
そして亜沙子は、毎週末母とランチに出かけるのが習慣だ。
中学時代に父を亡くしてから、母と共に手を携えて暮らし、仲良し母娘としてがんばってきた。
千遥と亜沙子は、お互い会ったこともない二人だが、「毒親」という大きな共通点がある。
その共通点を両輪に、そして一人の男性を軸にして、二人の運命は意外な方向にまわっていく。
____________________________
数ある毒親小説のなかで、本書の恐ろしさは別格。
己の自尊心を満たすために、娘に精神的虐待を加える母の姿は、もはや狂気。
その自尊心が満たされ、上機嫌になる過程もゾッとするもので、もはや人間を見ている気がしない。
人間の姿をした「鬼」「毒物」「サタン」とは、こういう生命体のことをいうのか・・・と、ただただ戦慄する。
本書を読むかぎり、親による精神的虐待は「魂の殺人」だ。
親に自分の存在を殺され、ついには自分で自分の存在を消したくなる・・・精神的虐待は、他殺と自殺両方を備えた「魂の殺人、人生の殺人」といえる。
本書が描く毒親と娘の姿は、そんな「精神的虐待の問題の本質」を根っこから掘り下げて描いている。
そう、本質を根っこから掘り下げてるから、「こんなラスト」になったのだろう。
ただの興味本位で書かれた「毒親小説」なら、きっとこんなラストにはならない。
著者は毒親問題を、心の底から「見過ごせない」と思って書いたに違いない。
毒親に苦しむ子どもたちに、何とか幸せになってもらいたくて、本書を著したに違いない。
でなければ、あんなラストにはしない。
著者はもはや作家生命を賭けて、あえてひどいエンディングにしたのだろう。
「啼かない鳥は空に溺れる」は、ハッピーエンドを望む人にはおすすめできない。
しかし、ただのエンタテインメントを通り越して、「母と子」「毒親という存在」について考えたい人には、おすすめ。
読んだ後、「さて、ならばどうするか」と、「真の解決策」に向けて歩き出すことができるだろう。
「愚図。のろま。頭が悪い。要領が悪い。下手くそ。役立たずはあっちに行って。かあさんの言葉で覚えているのはそれくらい。今は、私がそれを言っていいのよ。言ってあげようか」
(本文引用)
______________________________
ラストがこれほど残念でひどい小説は、初めてだ。
ちなみにこの「残念でひどい」というのは、小説の出来・不出来を言っているのではない。
実を言うと、これほどまでにラストがひどくて残念だから、本書は良書といえる。
いわゆる「残念でないラスト」だったら、この小説はありきたりなつまらない小説になっただろう。
こんなに斜め上というか、予想を裏切るラストになるとはちょっと読めなかった。
でもだからこそ、本書は「読んで良かった!」と思える小説になっている。
ちなみにこの「残念でひどい」というのは、小説の出来・不出来を言っているのではない。
実を言うと、これほどまでにラストがひどくて残念だから、本書は良書といえる。
いわゆる「残念でないラスト」だったら、この小説はありきたりなつまらない小説になっただろう。
こんなに斜め上というか、予想を裏切るラストになるとはちょっと読めなかった。
でもだからこそ、本書は「読んで良かった!」と思える小説になっている。
だって「現実世界のラスト」はたいてい、絶望的なものだから。
ハッピーエンドなんて、世の中そうそう転がってないということを、私たちは知るべきだから・・・。
____________________________
■「啼かない鳥は空に溺れる」あらすじ
千遥は30代前半の女性。
薄給の契約社員だが、愛人にお金を出してもらい、高級マンションに住んでいる。
千遥の実家は裕福だが、母親はいわゆる「毒親」。
ずっと千遥を罵倒しつづけ、弟だけを猫かわいがりしていた。
そして亜沙子は、毎週末母とランチに出かけるのが習慣だ。
中学時代に父を亡くしてから、母と共に手を携えて暮らし、仲良し母娘としてがんばってきた。
千遥と亜沙子は、お互い会ったこともない二人だが、「毒親」という大きな共通点がある。
その共通点を両輪に、そして一人の男性を軸にして、二人の運命は意外な方向にまわっていく。
____________________________
■「啼かない鳥は空に溺れる」感想
数ある毒親小説のなかで、本書の恐ろしさは別格。
己の自尊心を満たすために、娘に精神的虐待を加える母の姿は、もはや狂気。
その自尊心が満たされ、上機嫌になる過程もゾッとするもので、もはや人間を見ている気がしない。
人間の姿をした「鬼」「毒物」「サタン」とは、こういう生命体のことをいうのか・・・と、ただただ戦慄する。
本書を読むかぎり、親による精神的虐待は「魂の殺人」だ。
親に自分の存在を殺され、ついには自分で自分の存在を消したくなる・・・精神的虐待は、他殺と自殺両方を備えた「魂の殺人、人生の殺人」といえる。
本書が描く毒親と娘の姿は、そんな「精神的虐待の問題の本質」を根っこから掘り下げて描いている。
そう、本質を根っこから掘り下げてるから、「こんなラスト」になったのだろう。
ただの興味本位で書かれた「毒親小説」なら、きっとこんなラストにはならない。
著者は毒親問題を、心の底から「見過ごせない」と思って書いたに違いない。
毒親に苦しむ子どもたちに、何とか幸せになってもらいたくて、本書を著したに違いない。
でなければ、あんなラストにはしない。
著者はもはや作家生命を賭けて、あえてひどいエンディングにしたのだろう。
「啼かない鳥は空に溺れる」は、ハッピーエンドを望む人にはおすすめできない。
しかし、ただのエンタテインメントを通り越して、「母と子」「毒親という存在」について考えたい人には、おすすめ。
読んだ後、「さて、ならばどうするか」と、「真の解決策」に向けて歩き出すことができるだろう。