このカテゴリーの最新記事

祝ノーベル賞!カズオ・イシグロ「忘れられた巨人」は、高齢化社会に読みたい一冊

評価:★★★★★

「分かち合ってきた過去を思い出せないんじゃ、夫婦の愛をどう証明したらいいの?」
(本文引用)
______________________________

 今年、カズオ・イシグロさんがノーベル文学賞を受賞されました。
 
 現在、ベストセラーランキングでもカズオ・イシグロ作品が1位からズラリ。
 そのなかでも特に売れているのが、この「忘れられた巨人」です。

 この「忘れられた巨人」ですが、ファンタジーなのに非常に現実味があり、背筋がツーッと寒くなります。

 なぜなら、高齢化社会の現実を突きつけるような物語だから。

 カズオ・イシグロさんに、そのつもりはないのかもしれません。




 でも今後、認知症など「記憶」にまつわる問題が頻発するであろう日本において、これはもはやフィクションではない。
 今すぐにでも直面する問題が、この物語には丸ごと詰め込まれている。

 そんな気すらするのです。

 さて、「忘れられた巨人」とはどんな物語なのか。
 そして、「巨人」とはいったい何なのか。
 
 物語を追ってみましょう。
_____________________________

■「忘れられた巨人」あらすじ



 老夫婦アクセルとベアトリスは、不思議な村に暮らしています。

 その村には呪いの霧がかかっており、人々は記憶を失っていきます。

 村人たちは思い出をなくしてしまうせいか、会話も少なく、静かに暮らしています。

074f5c13a0d5270fbe7e87652a47e53f_s.jpg


 アクセルとベアトリスは、自分たちの記憶も徐々に薄れていくことを感じ、旅に出ることを決意します。

 それは、とうの昔に家を出ていった息子に会う旅。

 二人は、息子を授かったことすらうろ覚えの状態となりますが、何とか記憶を取り戻そうと長旅に出ます。

 そこで二人が気づいたものとは・・・?
______________________________

■「忘れられた巨人」感想



 以前、介護に関する俳句で、こんな内容のものを見かけました。

 いくら相手を愛し、献身的に介護をしても、相手はそれを忘れてしまう。
 そもそも認識すらしていない。

 何と悲しく虚しい気持ちになることか。

 そんな俳句でした。
 
 私はこの「忘れられた巨人」を読み、その介護俳句を思い出し、涙がボロボロとこぼれました。

 そういえば、国民的アニメの主人公の声を何十年も務めた方が、認知症で、そのキャラクターを演じたことをすっかり忘れていたとか。
 その声優さんのご主人は、何よりもそれがショックだったと語っています。

 記憶とは、その人の人生を形作るものであり、その人そのものを作るもの。
 重要な記憶を失うということは、生きる意味すら失わせるものなのかもしれません。

 だからといって、記憶をなくした人が死んで良いわけでは絶対にありません。
 ただ、記憶というものはその人のアイデンティティに深く関わるもの。
 
 記憶がないと、自分が何者かがわからず、立っているのもやっとの状態になるのかもしれません。

 「忘れられた巨人」は、そんな状態を怖れた夫婦の物語。
 息子に会いに行く旅に出ながらも、そもそも息子がいたのかどうか、息子を胎内に宿したかどうかすら記憶が曖昧になっていく二人。
 そのうち、記憶をなくすと、夫婦の愛すら崩れ去るのではないかと不安を感じはじめます。

dd720760243cf970c129e617b9eb3674_s.jpg


 そんなアクセルとベアトリスの心境は、現代日本の介護問題、高齢化問題を如実に描いていると思いませんか?

 家族の絆は、思い出でつながっていると言っても過言ではありません。
 その記憶が、誰か一人でもフツッとなくなると、途端に家族のバランスは崩れ、ピッタリはまっていたピースがボロボロと離れていく・・・そんな状態になると、介護の心理的負担は倍増します。

 アクセルとベアトリスの苦しみは、まさに記憶を失うことの心理的負担の象徴。

 「忘れられた巨人」はイングランドを舞台としたファンタジーですが、日本の遠からぬ未来を暗示している気がします。

 カズオ・イシグロさんが日本人であるとかイギリス人であるとか関係なく、現代の日本人が読むべき一冊だと思います。

 ちなみに本書の帯に、角田光代さんがこんな言葉を寄せています。

「この小説は、今私たちが立つ場所にまっすぐつながっている」

 間違いなく、21世紀を生きる私たちが立つ場所に、この小説はつながっています。

 「忘れられた巨人」を読んで感じた恐怖は、今後の日本を変えていくきっかけになるかもしれません。

詳細情報・ご購入はこちら↓

カズオ・イシグロさんがノーベル文学賞受賞!おすすめは福岡伸一さんとの対談。

「人生、楽しまなくっちゃ。夕方が一日でいちばんいい時間なんだ。脚を伸ばして、のんびりするのさ。みんなにも尋ねてごらんよ。夕方が一日でいちばんいい時間だって言うよ。」
(「日の名残り」より引用)
___________________________________

 カズオ・イシグロさんがノーベル文学賞を受賞されました!

39b3a9d0d8d30ce85487443782c8e5cd_s.jpg


 言われてみればなるほど納得。

 今までブッカー賞など栄誉ある賞を受賞されていたので、何となく忘れていたのですが、受賞されて当然の方ですよね。

 本当におめでとうございます。

(そういえば去年はボブ・ディランでしたね。
 今年はやはり、容易に連絡がとれそうな方にしたのかな?なんて思ったりして・・・)


 このブログでもカズオ・イシグロさんについては触れてきましたが、個人的にかなりオススメなのは、「動的平衡ダイアローグ」(※レビューはこちら)。

 


 あ、これはカズオ・イシグロさんの著作ではなく、「あの」(なぜか「あの」をつけてしまう)福岡伸一さんとの対談。

 「わたしを離さないで」を中心に、カズオ・イシグロさんの小説家としての軌跡や、何が「作家・カズオ・イシグロをつくったか」などについて語っています。

 こんなことを言うのも非常におこがましいですが、フランクにお話しされるカズオ・イシグロさんの言葉を読み、何だかグンと「文豪・カズオ・イシグロ」を身近に感じました。

 「カズオ・イシグロとはどんな人物なのか、どんな作家なのか」を知るうえでは、素晴らしい内容だと思います。

 カズオ・イシグロさんの小説といえば、やはり「日の名残り」でしょうか。(※レビューはこちら

 


 非常に滋味豊かな小説で、人間としての慎ましさ、奥ゆかしさ、深さ、優しさ、厳しさなどが全て詰め込まれているような美しい作品です。
 映画とともに、とーってもオススメです。

 今回の受賞で、ますますカズオ・イシグロさんのことを知りたい、いえ、知らなくちゃ!と思った秋の夜長。

 読もうと思いつつ、先延ばしになっていた「忘れられた巨人」を読もうとソッと手を伸ばしました。



 ちなみに冒頭に挙げたフレーズは、私がしばしば心の中で唱える言葉。
 カズオ・イシグロさんの小説のなかで・・・いえ、他の作家の作品も含む全小説のなかで、最も好きな言葉です。

「人生、楽しまなくっちゃ。夕方が一日でいちばんいい時間なんだ。脚を伸ばして、のんびりするのさ。みんなにも尋ねてごらんよ。夕方が一日でいちばんいい時間だって言うよ。」

 何度読んでも、心にしみます。

福岡伸一「動的平衡ダイアローグ」から読む、カズオ・イシグロ「わたしを離さないで」

 つまり記憶とは、死に対する部分的な勝利なのです。
(「動的平衡ダイアローグ」カズオ・イシグロ氏の言葉より)
__________________________________

 福岡伸一氏の対談集「動的平衡ダイアローグ」を読んでいる。この対談集には、科学者から芸術家まで8名のゲストが登場するが、そのトップバッターなのが、作家のカズオ・イシグロ氏。
 イシグロ氏は、「日の名残り」でブッカー賞を受賞した世界的作家であるが、常に過去の自分をさまようような、つかみどころのない作風が特徴であるように思う。

 この対談では、そんなイシグロ氏の作品の秘密が明らかにされる。とりあげられる作品は、主に「わたしを離さないで」
 映画にもなったベストセラーだが、この作品を語ることで、イシグロ氏はなぜ作家になったのか、なぜこのような作品を書いたのか、そして小説を通して何を伝えたいのかが見えてくる。

 「わたしを離さないで」を読む方、そしてすでに読まれた方にも、この対談は非常に面白く読めるのではないだろうか。
____________________________

 まず「わたしを離さないで」とは、どんな物語か。

 このストーリーには、「介護人」と「提供者」という2つの立場が登場する。
 提供者とは、臓器を提供する者であり、4回終えたところで死を迎える。そして介護人とは、その提供者を介護する人間。提供者の体を回復させる仕事をする者である。

 物語は、その介護人であるキャシーの回想形式でつづられる。



 

続きを読む

「日の名残り」

「人生、楽しまなくっちゃ。夕方が一日でいちばんいい時間なんだ。脚を伸ばして、のんびりするのさ。みんなにも尋ねてごらんよ。夕方が一日でいちばんいい時間だって言うよ。」
(本文引用)

___________________________________

 「仕事のプロ」とは、どんな人を指すのだろう。

雇用主の理念を理解し、
忠実に業務を遂行し、
機密情報を守り、
柔軟性を持って状況に適応していく・・・


 そんなところであろうか。

 できそうでできないこれらのことを全て実現し、企業や社会に利益をもたらしているスーパービジネスマンの姿は、いわゆるビジネス本ではよくみられる。
 しかし、そんな本とはかけ離れた小説に、真の「仕事のプロ」の姿を見ることができた。

The Remains of the Day-カズオ・イシグロ著「日の名残り」である。
 この作品は、英国で最高の文学賞ブッカー賞を受賞し、映画化もされた、イギリスでは代表的な小説だ。

 表紙にはイギリスの田園風景が描かれ、舞台は貴族の屋敷・・・叙情的な小説であることは想像できても、ビジネスのプロが登場するとはにわかに想像できないであろう。

 しかし、この小説の中に、確かに「仕事のプロ」はいる。
 「謎解きは~」ではないが、主人公である執事の男性である。




______________________________

 2世紀にわたる名門貴族ダーリントン家の執事・スティーブンスは、人生の全てをダーリントン卿に捧げてきた。

 世界大戦に関わる重要な会議では、まるで空気のように名士たちをもてなし、卿の恥は自分の恥と身を挺して主人を守る。
 それを彼は快感に思いながらも、一方で葛藤との戦いでもあった。

 同じくダーリントン家に仕える年老いた父親への解雇通告、女中頭との確執・・・。
 「泣いて馬謖を斬る」ような場面に何度も会いながら、スティーブンスはただひたすら業務を遂行し、ダーリントン・ホールにまつわる人達との信頼関係を構築していく。
 しかしそんなある日、ダーリントン家の屋敷がアメリカ人の手元に渡ることとなる。

 イギリス人の主人から、文化も風習も違うアメリカ人の主人に変わるということは、スティーブンスにとっては一大事である。

 「私も従来のやり方を急に変えてしまうことにはためらいをおぼえます。しかし、伝統のための伝統にしがみつくやり方にも反対です」


 スティーブンスは新しい職務計画書を作成することになるのだが、戸惑うばかり。
 ダーリントン卿のもとでの日々を懐かしく思いつつも、執事として新しい主人に仕える準備を怠ってはならない。

 それを慮ってか、新しい主人ファラディは、スティーブンスに休暇を与える。
 スティーブンスは田園のなか、フォードを走らせて旅をする。
 そこで彼が決意したものとは・・・?

 ・・・これを読んでいると、一生懸命に働いている人の姿というのは、何と清々しくて美しいものだろう、そして人の信頼を得ている人間というのは、何て太陽が似合うのだろう、と空を見上げたくなる。
 スティーブンスは、見ようによってはちょっと不恰好なほどに真面目だが、仕事をする人間のあるべき姿が凝縮されている。いや、生きるべき人間のあるべき姿、といった方が良いだろうか。
 そんな純粋な彼が悩み苦しむ姿を追っていると、自分まで一緒に旅をしているような気持ちになり、時々、涙をぬぐうハンカチを貸してあげたくなってしまう。

 そんな「美しい人間」が描かれた、実に「美しい物語」だ。

 そして、このレビュー冒頭に載せた言葉。

「人生、楽しまなくっちゃ。夕方が一日でいちばんいい時間なんだ。脚を伸ばして、のんびりするのさ。みんなにも尋ねてごらんよ。夕方が一日でいちばんいい時間だって言うよ。」

 この夕日は、今を人生の夕暮れ時と考えての言葉であろうが、誰もが素晴らしい夕方を過ごせるわけではないだろう。
 真面目に誠実に、仕事のプロに徹してきたスティーブンスだからこそ味わえる、至福の夕方なのだ。

 私もいつか、人生の夕方を迎えるだろう。
 そのときに、美しい夕日を見ることができるように生きていきたいものである。

ご購入はこちら↓
 

プロフィール

アコチム

Author:アコチム
反抗期真っ最中の子をもつ、40代主婦の読書録。
「読んで良かった!」と思える本のみ紹介。
つまらなかった本は載せていないので、安心してお読みください。

最新記事
シンプルアーカイブ
最新コメント
最新トラックバック
RSSリンクの表示
QRコード
QR

書評・レビュー ブログランキングへ
にほんブログ村 本ブログへ
にほんブログ村
カテゴリ
広告
記事更新情報
リンク
広告