祝ノーベル賞!カズオ・イシグロ「忘れられた巨人」は、高齢化社会に読みたい一冊
評価:★★★★★
「分かち合ってきた過去を思い出せないんじゃ、夫婦の愛をどう証明したらいいの?」
(本文引用)
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でも今後、認知症など「記憶」にまつわる問題が頻発するであろう日本において、これはもはやフィクションではない。
今すぐにでも直面する問題が、この物語には丸ごと詰め込まれている。
そんな気すらするのです。
さて、「忘れられた巨人」とはどんな物語なのか。
そして、「巨人」とはいったい何なのか。
物語を追ってみましょう。
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老夫婦アクセルとベアトリスは、不思議な村に暮らしています。
その村には呪いの霧がかかっており、人々は記憶を失っていきます。
村人たちは思い出をなくしてしまうせいか、会話も少なく、静かに暮らしています。
アクセルとベアトリスは、自分たちの記憶も徐々に薄れていくことを感じ、旅に出ることを決意します。
それは、とうの昔に家を出ていった息子に会う旅。
二人は、息子を授かったことすらうろ覚えの状態となりますが、何とか記憶を取り戻そうと長旅に出ます。
そこで二人が気づいたものとは・・・?
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以前、介護に関する俳句で、こんな内容のものを見かけました。
いくら相手を愛し、献身的に介護をしても、相手はそれを忘れてしまう。
そもそも認識すらしていない。
何と悲しく虚しい気持ちになることか。
そんな俳句でした。
私はこの「忘れられた巨人」を読み、その介護俳句を思い出し、涙がボロボロとこぼれました。
そういえば、国民的アニメの主人公の声を何十年も務めた方が、認知症で、そのキャラクターを演じたことをすっかり忘れていたとか。
その声優さんのご主人は、何よりもそれがショックだったと語っています。
記憶とは、その人の人生を形作るものであり、その人そのものを作るもの。
重要な記憶を失うということは、生きる意味すら失わせるものなのかもしれません。
だからといって、記憶をなくした人が死んで良いわけでは絶対にありません。
ただ、記憶というものはその人のアイデンティティに深く関わるもの。
記憶がないと、自分が何者かがわからず、立っているのもやっとの状態になるのかもしれません。
「忘れられた巨人」は、そんな状態を怖れた夫婦の物語。
息子に会いに行く旅に出ながらも、そもそも息子がいたのかどうか、息子を胎内に宿したかどうかすら記憶が曖昧になっていく二人。
そのうち、記憶をなくすと、夫婦の愛すら崩れ去るのではないかと不安を感じはじめます。
そんなアクセルとベアトリスの心境は、現代日本の介護問題、高齢化問題を如実に描いていると思いませんか?
家族の絆は、思い出でつながっていると言っても過言ではありません。
その記憶が、誰か一人でもフツッとなくなると、途端に家族のバランスは崩れ、ピッタリはまっていたピースがボロボロと離れていく・・・そんな状態になると、介護の心理的負担は倍増します。
アクセルとベアトリスの苦しみは、まさに記憶を失うことの心理的負担の象徴。
「忘れられた巨人」はイングランドを舞台としたファンタジーですが、日本の遠からぬ未来を暗示している気がします。
カズオ・イシグロさんが日本人であるとかイギリス人であるとか関係なく、現代の日本人が読むべき一冊だと思います。
ちなみに本書の帯に、角田光代さんがこんな言葉を寄せています。
「忘れられた巨人」を読んで感じた恐怖は、今後の日本を変えていくきっかけになるかもしれません。
「分かち合ってきた過去を思い出せないんじゃ、夫婦の愛をどう証明したらいいの?」
(本文引用)
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今年、カズオ・イシグロさんがノーベル文学賞を受賞されました。
現在、ベストセラーランキングでもカズオ・イシグロ作品が1位からズラリ。
そのなかでも特に売れているのが、この「忘れられた巨人」です。
この「忘れられた巨人」ですが、ファンタジーなのに非常に現実味があり、背筋がツーッと寒くなります。
なぜなら、高齢化社会の現実を突きつけるような物語だから。
カズオ・イシグロさんに、そのつもりはないのかもしれません。
現在、ベストセラーランキングでもカズオ・イシグロ作品が1位からズラリ。
そのなかでも特に売れているのが、この「忘れられた巨人」です。
この「忘れられた巨人」ですが、ファンタジーなのに非常に現実味があり、背筋がツーッと寒くなります。
なぜなら、高齢化社会の現実を突きつけるような物語だから。
カズオ・イシグロさんに、そのつもりはないのかもしれません。
でも今後、認知症など「記憶」にまつわる問題が頻発するであろう日本において、これはもはやフィクションではない。
今すぐにでも直面する問題が、この物語には丸ごと詰め込まれている。
そんな気すらするのです。
さて、「忘れられた巨人」とはどんな物語なのか。
そして、「巨人」とはいったい何なのか。
物語を追ってみましょう。
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■「忘れられた巨人」あらすじ
老夫婦アクセルとベアトリスは、不思議な村に暮らしています。
その村には呪いの霧がかかっており、人々は記憶を失っていきます。
村人たちは思い出をなくしてしまうせいか、会話も少なく、静かに暮らしています。
アクセルとベアトリスは、自分たちの記憶も徐々に薄れていくことを感じ、旅に出ることを決意します。
それは、とうの昔に家を出ていった息子に会う旅。
二人は、息子を授かったことすらうろ覚えの状態となりますが、何とか記憶を取り戻そうと長旅に出ます。
そこで二人が気づいたものとは・・・?
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■「忘れられた巨人」感想
以前、介護に関する俳句で、こんな内容のものを見かけました。
いくら相手を愛し、献身的に介護をしても、相手はそれを忘れてしまう。
そもそも認識すらしていない。
何と悲しく虚しい気持ちになることか。
そんな俳句でした。
私はこの「忘れられた巨人」を読み、その介護俳句を思い出し、涙がボロボロとこぼれました。
そういえば、国民的アニメの主人公の声を何十年も務めた方が、認知症で、そのキャラクターを演じたことをすっかり忘れていたとか。
その声優さんのご主人は、何よりもそれがショックだったと語っています。
記憶とは、その人の人生を形作るものであり、その人そのものを作るもの。
重要な記憶を失うということは、生きる意味すら失わせるものなのかもしれません。
だからといって、記憶をなくした人が死んで良いわけでは絶対にありません。
ただ、記憶というものはその人のアイデンティティに深く関わるもの。
記憶がないと、自分が何者かがわからず、立っているのもやっとの状態になるのかもしれません。
「忘れられた巨人」は、そんな状態を怖れた夫婦の物語。
息子に会いに行く旅に出ながらも、そもそも息子がいたのかどうか、息子を胎内に宿したかどうかすら記憶が曖昧になっていく二人。
そのうち、記憶をなくすと、夫婦の愛すら崩れ去るのではないかと不安を感じはじめます。
そんなアクセルとベアトリスの心境は、現代日本の介護問題、高齢化問題を如実に描いていると思いませんか?
家族の絆は、思い出でつながっていると言っても過言ではありません。
その記憶が、誰か一人でもフツッとなくなると、途端に家族のバランスは崩れ、ピッタリはまっていたピースがボロボロと離れていく・・・そんな状態になると、介護の心理的負担は倍増します。
アクセルとベアトリスの苦しみは、まさに記憶を失うことの心理的負担の象徴。
「忘れられた巨人」はイングランドを舞台としたファンタジーですが、日本の遠からぬ未来を暗示している気がします。
カズオ・イシグロさんが日本人であるとかイギリス人であるとか関係なく、現代の日本人が読むべき一冊だと思います。
ちなみに本書の帯に、角田光代さんがこんな言葉を寄せています。
間違いなく、21世紀を生きる私たちが立つ場所に、この小説はつながっています。「この小説は、今私たちが立つ場所にまっすぐつながっている」
「忘れられた巨人」を読んで感じた恐怖は、今後の日本を変えていくきっかけになるかもしれません。