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路線バスの旅が好きな方は必読!西村健「バスを待つ男」

評価:★★★★★

 「行き当たりばったりにバスに飛び乗っているようでやっぱり、どこかに目的があるのですね」
(本文引用)
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 日常に潜むちょっとしたミステリー。最近は、そういう物語に心惹かれる。年をとってきたせいだろうか。

 西村健の代表作といえば「地の底のヤマ」だが、それが非常に骨太で読み応えのある小説だったので、この新刊も読んでみた。

 そして改めて思う。
 西村健という作家は、何て人を見る目、世の中を見る瞳が温かいのだろう、と。

 常に自分より弱い立場にある者に目を向け、労り、感謝や見返りを乞うことなくその場から立ち去る。

 そんなとびきりの温かさと、人間の「粋」というものが、西村健の小説にはある。
 本書は、それを確信させてくれた一冊だ。






●あらすじ


 主人公は、元刑事の男性。定年退職をしてから特にすることもなく、暇を持て余している。
 対して妻のほうは自宅で料理教室を開き、趣味の読書にも興じており、生き生きとした様子。

 そんな日々のなか、男性はシルバーパスを使い、あてもなく路線バスに乗るという趣味を見つける。
 
 しかしそこには、小さな謎がたくさん転がっていた。
 いつも同じ時間にバスを待つ男性、学校に行くふりをしているらしい中学生、神社の狐にかけられた謎の前掛け・・・。

 時には元刑事らしく、事件のあった場所で悔しい思いが蘇ることも。

 路線バスの旅のなかで出会う様々な謎に、男性と妻が挑む。



●「バスを待つ男」のここが面白い!


 本書は短編集で、物語としてはそれぞれ独立している。
 しかしたびたび登場するキャラクターなどもいるので、連作短編集や群像劇ともいえるだろう。

 結局、非常に多くのキャラクターが登場することになるのだが、誰も彼もが人情味あふれる人物ばかりでとにかく心が温まる。
そして皆が良い人すぎて、ちょっと互いに疲れてしまう時も。そんな贅沢な煩わしさまできっちりと描かれている点が、またいい。

 特に、主人公の男性と妻の労わりあいが心地よい。
 妻は頭が良く、趣味も広く、料理が上手で品もある。そして常に夫をたてるという百点満点の女性だ。

 しかし妻が完璧すぎて、時に男性は気疲れをしてしまう。
家事に生きがいと誇りを持っている妻の前で、家電量販店でロボット掃除機を見てきたことなどとても言えない。
 いつも凝った料理を出してくれる妻の前で、居酒屋で油揚げをあぶっただけのものを「うまい、うまい」と食べてきたことなどとても言えない。

 そんな夫婦の姿が、事件の謎解きを通してリアルに描かれているのが実に微笑ましい。
 「人の心というものは、見えない謎だらけなのだな・・・」
 本書を読んでいると、そんなことを思いながらクスリと笑ってしまう。

 そして、そんな夫婦の気遣いがミステリーに見事に絡められている点も見事!
 なかでも第三章の「うそと裏切り」がいい。
 
 バス路線の旅をしている途中、男性は一人の男子中学生を見かける。
 彼は名門私立中学に通っているようだが、どうやら不登校の様子。早晩、両親にもその事実がバレるであろう。

 それを不憫に思った男性は、中学生に声をかける。
 不登校の原因は、どうやら学校内のいじめにあるらしい。しかも、今まで信じていた親友までもが、いじめに加担していたという。
 
 男性は何とか彼を救いたいと思うが、そこには思わぬ勘違いが潜んでいて・・・?

 この物語は内容自体も面白いのが、ラストが秀逸。
夫婦も、中学生と同様の勘違いで要らぬ気苦労をしていたことがわかり、めでたしめでたし。

人の心は、何気ないことで簡単に曇ってしまう。
そんなことにギクリとさせられながらも、思わず頬がゆるむ一話だ。

  

●まとめ


 北村薫作品など、優しいミステリーが好きな方には心からお薦めの一冊。
 そして、人と人とのつながりが、また別のつながりを生む群像劇が好きな方も、非常に楽しめるだろう。
 そうそう、落語など日本古来の演芸が好きな方にも薦めたい。
 もちろん、太川陽介と蛭子能収の「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」のファンの方も!

 ミステリーは好きなのだが、人間不信に陥るような物語は食傷気味。
 謎解きはしっかりとありつつも、その謎で心を温かく溶かしたい。ミステリーでドキドキするのではなく、ホッと一息つきたい。
 「バスを待つ男」は、そんな方にぜひ読んでいただきたい物語だ。

 そして読んだ後は、大切な人の心の謎に、少しだけ迫ってみてほしい。
 目を凝らしてみると、思いがけない労りや愛が隠れているかもしれない。

 ミステリーは、人を疑う気持ちから始まるお話だ。
 しかし「バスを待つ男」は、人を信じる気持ちから始まり、人を信じる気持ちで終わるミステリー。
読んだ後は必ず、愛する人をより深く愛せるようになるだろう。 
 

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地の底のヤマ 西村健

 「弱か者はいつまで経っても、弱かまま。強か者によかごと使われて、歴史に封印されるだけたい」
 (本文引用)
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 「860頁2段組。逃げ出したくなる巨篇が、熱い熱い読者の声に支えられて8刷!」

 私の買った本書の帯には、こう書いてある。

 そう、私も何度も逃げ出したくなった。
 ズシリと重いこの本を持ち歩くことに疲れ、読んでも読んでも左手に残る紙の量が減らず、何度も挫折しかけた。それに加えて、慣れない九州弁だらけの会話にも難儀した。

 しかし、読むうちに「この本からは決して逃げてはいけない」と思うようになった。
 逃げたらその瞬間に、私は人としての価値がなくなる、とすら思い始めた。


 そして10日かけて読み終えた今、こう断言できる。

 「この本は、この本を読んだことは、一生の財産になる」と。
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 昨年11月9日、福岡県大牟田市において、旧三井三池炭鉱・三川坑の炭塵爆発事故の50回忌法要が行われた。
 その慰霊碑は、炭鉱労組の分裂により2ヶ所あるという。
 
 当時まだ若かった夫を亡くし、幼子と共に遺され、懸命に半世紀を生きてきた80歳の女性は言う。

 「夫がいつも守ってくれると思って頑張ってきた」と。

 (2012年11月10日 朝日新聞朝刊 福岡・2地方面より)

 また、この事故は死者だけでなく、多数のCO中毒患者も生み出した。
 穏やかで優しかった夫が、脳を破壊され、突然暴れだす。幼い子供と脅えながら暮らす毎日。
 その夫が事故から36年後、がんで亡くなった。

 「死に顔は穏やかでした。患者の苦しみは死なないと消えないのです」

 夫と同じCO中毒の患者の名前を探し、名簿に記すのを日課とする女性は、そう語る。
 (2012年11月6日 日本経済新聞 西部夕刊 社会面より)
 
 この「地の底のヤマ」は、この三井三池炭鉱の爆発事故を原点とした物語だ。
 主人公は警察官・猿渡鉄男。その男が見つめ、追い続けた、約40年におよぶ大牟田での人間ドラマである。
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 その内容は、ある意味ミステリー仕立て。
 鉄男の父親をはじめ、労働組合の幹部、反社会的勢力に飲み込まれた善良な一家、尋常でない親子関係を築いていた母娘・・・と何人もの人物が殺し殺される。
 そして1つの事件の背後には、幾層もの謎が隠され、剥いでも剥いでも真相に突き当たらない。その展開は非常に巧妙で、労働問題や差別といった社会的メッセージを込めなくても、純粋なミステリーとして十分読ませる。

 しかしやはりそれだけでは、「一生の財産」と思えるほどの作品とはならなかっただろう。

 働いても働いても虐げられ、その弱者同士でもまた差別をし、その結果取り返しのつかないことを引き起こす者たち。
 働いて働いて、いつかは楽になれる、幸せになれると願っていたのに、脳を壊され、帰る家もなくボロ雑巾のように社会から捨てられる者たち。
 それを見て見ぬふり、いや本当に見えていないのかもしれないエリートたち。

 この作品がえぐり出す歪んだ構図は、今もなおあらゆる所にはびこり、理不尽な思いをしながら息を潜めて暮らしている人は多い。

 皆平然と暮らしているが、その心の奥底では、どうしても消すことのできない怒りの炎がくすぶり、いつまでも止むことのない涙の雨が降っている。

 「ああ、この人もそうかもしれない、あの人もそうなのかもしれない」
 
 ・・・時折本から顔を上げ、街行く人、電車に乗る人々を眺めていると、どうしようもなく涙が滲んできた。
 すでに、涙で文字がかすんでいたというのに。
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 2012年11月3日、三川坑が閉山以来15年ぶりに一般公開された。
 その際、一般公開の来場者に「三川坑を保存・活用すべきか」というアンケートを行ったところ、85%の人が「保存・活用すべき」と答えたという。
(2012年11月6日 朝日新聞 朝刊 筑後・1地方面)

 私は、もしこの本を読む前にアンケートに応じていたら、何と答えていたかわからない。
 しかし、今はきっとこう答える。
 「ぜひ保存してほしい」と。

 私たち1人ひとりの中に、それぞれともり続ける「ヤマの灯り」・・・心の灯を消してしまわないために。

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プロフィール

アコチム

Author:アコチム
反抗期真っ最中の子をもつ、40代主婦の読書録。
「読んで良かった!」と思える本のみ紹介。
つまらなかった本は載せていないので、安心してお読みください。

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