「ユーザーなんて、そんなものだよ。思い入れなんてものは、物自体が無くなってしまえば、どこかに消し飛んでしまう」(本文引用)
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これほど先が読めない小説もなかなかない。
その「先」が、私たちが通ってきた道であるにも関わらず、だ。
楡周平「虚空の冠」、サブタイトルは「覇者たちの電子書籍戦争」。
しかしその戦いは、電子書籍だけではない。
新聞、ラジオ、テレビ、そしてインターネット・・・私たちの生活になくてはならない各種メディア。
そのなかで勝つのは、どのメディアなのか。その世界の覇者となるのは、いったい誰なのか。
第二次世界大戦後から、間断なく繰り広げられてきたメディア戦争。
本書は、その仁義なき戦いを1つひとつじっくりとなぞっていく、手に汗握るビジネス小説である。
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始まりは、戦後間もない日本。大手新聞社極東日報記者・渋沢大将は、離島で起きた火事を取材するため連絡船に乗り込む。
しかしその途中、アメリカの軍艦に衝突され、渋沢の乗る船は沈没する。
唯一生き残った渋沢は、記事送信用に乗せていた伝書鳩に、事故の経緯をしたためた文書をくくりつけ新聞社に送る。
しかし敗戦国としての傷跡が生々しいなか、その事実は握りつぶされ、代わりに渋沢は異例の出世を果たす。
いつしか渋沢は新聞だけでなく、ラジオ、テレビ界にまで君臨するメディア界の首領へとのしあがっていく。
そしてここにまた一人、メディア界を牛耳ろうと目論む男がいた。
日本第三位の通信事業会社グローバル・テレコム役員、新原亮輔。
亮輔は、電子書籍ビジネス進出に向けてコンテンツを獲得しようと、渋沢に近づく。
メディア王となるのは、最後に笑うのは、いったい誰なのか。
巧妙な社内政治を操り、そして大衆の心をも操るのは誰なのか。
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「電子書籍戦争」という言葉に惹かれて読み始めた私は、いきなり戦後間もない文書検閲、しかも通信手段は鳩、というスタートに驚いた。
そしてその時代を越えてからも、ラジオ、そしてテレビの登場・・・と、ややじれったさを感じるほど、ひとつひとつ丁寧に熾烈な戦いが描かれていく。
正直、「電子書籍の戦いはどこに行った?」という拍子抜けの感もあった。
しかしこれが私の期待通り「電子書籍のことしか書かれていなかった」ら、ひどく不満を持ったことだろう。
自由にものが書けない時代を経て、映像のない時代を経て、外国のドラマも観られる時代がやってきて、机の前で世界中の情報を得られるようになって・・・。
そういったメディアの歴史が、1つひとつしつこいほど色濃く描かれてきたからこそ、なぜ今、電子書籍なのか、私たちは電子書籍に何を求めているのか、肌身離さず読みたい情報とは、どのようなものなのかが浮き上がってくる。
それは物語後半、ついにグローバル・テレコムが電子書籍ビジネスに乗り込んだ際の結末に、よく表れている。
ああ、私たちはこんな情報端末が欲しいのだ、逆にこんな情報端末はいらないのだ、と。
これはおそらく、各種メディアについての詳述がなければわからなかったことだろう。
上下巻合わせて700頁超。これだけのボリュームをもって描いてくれたからこそ、電子書籍が登場する理由、求められる理由がわかり、電子書籍戦争が生きてくるのだ。
一瞬、そこに至るまでの歴史を端折って読みたくなった自分を、後に大いに恥じた。
さらにこの小説が見事なのは、そんなメディア戦争の裏で繰り広げられる、狐と狸の化かしあいさながらの攻防戦。
それは以前、世間中の耳目を集めた「某ラジオ局の経営権問題や敵対的買収事件」などを彷彿とさせる面白さ。
なかでも、緻密な作戦で業界の重鎮が任を解かれ、その男が病床で渋沢に、
「貴様が・・・・・・死ぬ・・・・・・その時まで・・・・・・恨み・・・・・・呪い続けて・・・・・・やる・・・・・・」(本文引用)
と語る場面などは、単なるビジネス小説を超えた迫力があり、私の目まで充血。人は時に非情にならざるを得ない、そんなことを痛感した瞬間だ。
そう、あの男も、あの男も、上巻では思いもよらなかった非情さを見せた。
最後の1ページ、最後の1行まで・・・。
生き馬の目を抜くような、先の読めないメディア界。
そんな世界を、さらに先の読めないストーリーで味わいたい方に、心からお薦めの一冊である。
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