評価:★★★★★
ほんまにもう、あんな痛い思いして産んだのに、こんなんやったら何のために夏帆を産んだのやらわからへん。
なんや、えらい損した気分やわ。
あほらし。(本文引用)
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「ひどい・・・ひどいひどいひどいひどい!」
主人公の母親に対し、何度そう思ったことか。
これほどまでに、登場人物に対し激しい嫌悪を持ったことはない。本気で吐きそうになった。
本書を読み「毒親とはよく言ったものだな」と、妙に納得。
毒親とは本当に、飲めば吐き出したくなる「毒」。
そして一度飲んでしまうと、どんなに吐いても、どんなに月日が流れても、内臓にくすぶりつづける。
まさに「毒」なのだ。
それにしても、押しも押されもせぬ人気作家が、ここまで母娘関係でもがいていたとは・・・。
そして直木賞を獲ってもなお、親が毒親でありつづけたとは・・・。
読むのもつらいが、書くのはもっとつらかったであろう。
しかし本書のおかげで、毒親・虐待がなくならない理由がわかった。
さらに言うと、ラストで「虐待死が防げない理由」まで「ああそうか・・・」とわかってしまった。
毒親・虐待死の根源的理由を知るのなら、「放蕩記」ほど適した本はないだろう。
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■「放蕩記」あらすじ
主人公・夏帆は人気作家。
仕事はすこぶる順調だ。
しかし夏帆の母親は言う。
「私もな、女学校時代から、国語では学年で一番やったんよ」
「自慢やないけど文章で人に負けたと思ったことだけはなかったわ。今でもないし。手紙とか、このお母ちゃんに書かせてみ。上手やでぇ」
「うちかて作文は学年で一番やったのに、なんで夏帆だけが作家になってちやほはされて」
「授賞式なんか行ったかて、そら夏帆は賞金までもらえてええやろけど、こっちがナンボかもらえるわけやなし。何もええことあらへんやんか。東京までの電車代がかかるだけ損やんか」
夏帆の母親は、決して夏帆を認めない。
いつも自分が一番でないと気がすまない。
そして夏帆が子どもの頃から、常に夏帆を貶め、悪いところは「父親似」、まれに誉める良いところは「お母ちゃん似」。
生活面・金銭面・心理面全てにおいて、夏帆を強烈に支配しつづける。
夏帆の母は、そんな人物だった。
夏帆は母親を蛇蝎のごとく嫌いながら、這うようにして成長。
そのうち、「求めても得られないことを補いつづける素行」を繰り返すようになる。
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■「放蕩記」感想
本書を読むと、毒親の本当の罪が見えてくる。
毒親は「親らしくない」ことが罪なのではない。
親であろうとなかろうと、「とてつもなく卑怯であること」が毒親の罪なのだ。
毒親は「親子は永遠に親子である」という事実を利用して、己の虚栄心を満たす。
「結局、親子は離れられない」ということをわかっているから、他人ではなく子どもを使って支配欲を満たす。
「子どもが圧倒的に弱い」「親なしでは生きていけない」と確信しているから、とことん貶め嘲り踏みつける。
自分の都合の良いように嘘をつき、どこまでも子どもを追い詰める。
つまりは24時間年中無休の弱いものいじめ。
毒親とは親としてではなく、人としてとんでもなく卑怯。
「放蕩記」は数々のエピソードで、それを伝えてくれている。
「親」という枠をはずし、「人」という枠で、毒親というモンスターを考えさせる。
これは子どもの心理的虐待を理解・防止するうえで、大きな功績だ。
「毒親」を「親」という枠でのみ考えているうちは、周囲の理解を得られない。
本書でも、夏帆の友人や恋人は、なかなか夏帆の辛さを理解できずにいる。
親子なんだからそれぐらい言うよ、母親なんだから、大目に見てあげないといけない・・・彼らはそのような呑気で無神経なことをいとも簡単に言う。
それは夏帆の母を、「親」という枠だけでとらえているから。
「親子だからわかりあえずはず」という固定観念にとらわれているから、夏帆の苦しみをわかってあげられないのだ。
その凝り固まった意識は、最悪の場合、虐待死を引き起こす。
虐待死を防げない理由は、救う側に「親子は一緒にいないといけない」「親子だからわかりあえるはず」「親は子ども可愛さに、そんなことをしてしまう」という固定観念があるから。
「親」という枠をいったんはずし、「人」として考えれば、加害者の異常性は明らか。
「人間として、どう考えてもおかしいだろう」という認識に持っていけば、救える命はあるのではないか。
たとえ死には至らなくても、虐待に苦しむ子どもたちを救うことができるのではないか。
本書を読んでいると、そう思えて仕方がない。
その意味で、「放蕩記」はいつまでも読まれるべき傑作。
主人公や周囲の者たちの言動から、毒親・児童虐待がなくならない理由がまざまざと見えてくる。
それは同時に、毒親・児童虐待をひとつでも解決する手立てとなるものだ。
ラストは意外なほど泣ける展開に。
しかしこのラストを「感動のラスト」などと言ってるうちは、毒親・児童虐待解決は遠くおよばない。
だって感動しちゃったら、「毒親」というモンスターに転がされることになるのだから。
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