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追悼・葉室麟さん。「蜩ノ記」「銀漢の賦」「陽炎の門」等々、大好きでした。

ちょっとショックで、言葉が見つかりません。

作家・葉室麟さんが亡くなりました。

葉室麟さんの小説は、人間の真の強さ、温かさ、勇気と優しさ、そして時にユーモアも教えてくれて大好きでした。

ここに、過去に投稿した葉室作品の記事をまとめます。

「蜩ノ記」

「銀漢の賦」

「花や散るらん」

「陽炎の門」

「柚子の花咲く」

「川あかり」

「天の光」

「春風伝」

心よりお悔やみ申し上げます。

大好きでした。

春風伝 葉室麟

 「母上、春風は東風とも書きます。いまやわが国には、西から強い風が吹き付けております。わたしは西の風に抗する東風として生きねばならぬでありましょう」(本文引用)
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 後世に名を残す人物には、「スピード」がある。
 これが面白いと思えば、その日に取り掛かり、これは違うと思えば、即座に撤退する。
 ビジネス、学問、芸術等分野を問わず、一角の人物にはそんな特徴があるが、この志士も例外ではない。本書を読み、それを確信した。

 この小説は、高杉晋作の人生を描いた物語。タイトルである「春風伝」は、晋作の諱(本名)である「春風」から来ている。
 しかし内容を読むと、たとえ高杉晋作の本名が「春風」でなくても、この題名だったのではないかと思えてくる。
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天の光 葉室麟

 「たとえ仏像は救えなくとも、仏像にかけたひとの思いはひとを救えるのではないでしょうか」
(本文引用)
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 最近、小説の余韻を楽しめるようになってきた。若い時は、ストーリーが完全に終わらないと納得できなかったが、今はちょっと違う。少し「想像の余地のある終わり方」に深い感銘を覚える。

 この物語が終わった数日後、数時間後、1分後、主人公はどうなっているのだろう?
 これから幸せになるのだろうか、それとも途轍もなく大きな悲しみが彼らを襲うのだろうか。
 本を閉じた後に、そんな想像を膨らませるのが、今では至福の時間となっている。

 そんな喜びをくれたのが、この葉室麟著「天の光」
 一人の仏師が、全てをかけて妻を救う、至高の愛の物語である。


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川あかり 葉室麟

 ひとびとのためにやると決意したのだ、と自分を叱咤した。たとえ、歯が立たない相手であっても、どんなにみっともない結果になろうとも、全力を尽くすのみだ。
(本文引用)
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 面白い小説を読むと、「ドラマ化してほしいな」「映画化されたらいいな」などと考えてしまうが、この小説はちょっと違う。

 「舞台化してほしい」

 そしてできれば、演出は三谷幸喜さんで、主役は溝端淳平さんで、あの役は相島一之さんで、あの人は梶原善さんで、あ、あの二人は宇梶さんと壇蜜さんの西大阪スチール(@「半沢直樹」)カップルがいいな。そして皆が仏像を隠す場面ではああなって、七十郎を助ける場面ではこうなって・・・うゎっ、おっもしろそう!

 そんな様々な妄想をめぐらせながら、もう体中が痒くなるほどウキウキしながら一気に読んでしまった「川あかり」

 時代小説の雄・葉室麟先生が放つ、とびきりチャーミングな娯楽小説だ。
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 軽格の武士・伊東七十郎は、藩内一の臆病者。刀どころか蛙すら怖くて仕方がない。そんな七十郎に、ある日、家老暗殺というとんでもない命が下される。
 びくびくしながら、家老を待ち伏せる場所へ向かう七十郎だが、その途中、思いもよらぬ足止めを食う。大雨による山崩れで、川が渡れないのだ。仕方なく七十郎は、土手近くの安宿に泊まることとなる。
 ところが、そこで出会った者たちは、ひと癖もふた癖もある者ばかり。寝食を共にするうちに、どうやら盗賊のにおいすら・・・。

 七十郎に色仕掛けをする女、宿に乗り込むDV夫、突然の家宅捜索・・・。いわゆる“悪党”どもに囲まれる日々の中、七十郎は、無事にミッションを成功させることができるのか?
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 本書のタイトル「川あかり」は、「日が暮れて、あたりが暗くなっても川は白く輝いている」風景を指すらしいが、それはまさにこの物語そのもの。
 その気の弱さ故に、藩の派閥抗争に飲み込まれ、どう考えても勝ち目のない上意討ちを強いられ、もはや虫けらのように扱われる七十郎。
 完全に軽んじられていることがわかっていながら、馬鹿正直なほどに人に優しく誠実に向き合う七十郎の姿は、正直に言って日の当たる場所を歩くタイプではない。
 しかし物語が進むほどに、どうだろう、七十郎の周りには明かりが見えてくるのだ。

 なかでも「臆病者の武士」と嘲っていた安宿の住民たちが、次第に七十郎に味方するようになり、ついには一枚岩となって七十郎を守ろうとする姿にはもう涙、涙。
 こういった筋書きは、よくある青春ドラマのようであるが、やはりいいものはいい。
 ともすると嘘や謀略がまかりとおる世の中、「真実が人の心を溶かす」ことを嘘でもいいから信じさせてくれるストーリーは、心洗われるものだ。

 しかもこの物語には、ユーモアもある。
 クセモノぞろいの宿の面々が、阿吽の呼吸で幾多の難を逃れる描写には、思わず抱腹。これが舞台で上演されたら、観客席はドッと湧くことに違いない。ああ、舞台化してくれないかなぁ。

 そして、七十郎が本当に守るべき存在を知っていく経緯も、実に味わい深い。
 登場する美しい女性たちのなかで、揺れ動く七十郎。そんな優柔不断な彼が、最後に、愛する人を迎えに行こうと一歩を踏み出す。そのラストシーンには、川だけでなく、読む者の心もパァッと明るくなること必至だ。

 スイスイ読めるが、「人間の真の強さとは何か」を唸るほど考えさせてくれる。柔らかさのなかに確たる凛々しさを秘めた、傑作である。

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柚子の花咲く 葉室麟

 「われらは先生が丹精込めて育ててくださった柚子の花でございます。それでもお斬りになりますか」
(本文引用)
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 「幸せになりたければ、葉室麟を読みなさい」。
 
 口幅ったいことを言うようだが、最近、私はこういう新書の一冊でも書きたい気持ちでいっぱいだ。

 素人ゆえそのような機会もないであろうが、とりあえず自分自身には、都度この言葉を言い聞かせている。

 何かに迷った時、自分に対する不満がねじれて、外に刃を向けそうになった時、無理やり自己を正当化しようとした時・・・。
 要するに、自分で自分を不幸にしてしまいそうな時には、己にこう唱えている。
 「今こそ、葉室麟を読みなさい」と。


 「桃栗三年、柿八年、柚子は九年で花が咲く」
 -このような教えのもと、人を愛し信じ抜いた者を描いた作品「柚子の花咲く」
 炎上と鎮火をめまぐるしく繰り返す現代の社会において、絶対と言ってよいほど読まれるべき小説だ。
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 ことの始まりは、1人の武士の遺骸だった。
 斬られたのは、日坂藩の郷学、青葉堂村塾の教授・梶与五郎。
 当初は盗賊の仕業かとも思われたが、調べていくうちに、それほど単純なものではないことがわかってくる。

 折しも、日坂藩と隣国・鵜ノ島藩は、干拓地の境界線をめぐって争っていた。鵜ノ島藩の領内で殺された与五郎は、どうやらその争いにおける重要な覚書を持っていたとのこと。藩内では、その覚書がねらわれての犯行ではないかと疑う。
 しかしそのうち、与五郎が女連れだったという証言も飛び出し、その夫による妻敵討ちではないかとの噂がまことしやかに広がる。

 それを聞き、与五郎の教え子である筒井恭平は、事件の真相を突き止めるべく奔走する。
 恭平の知る与五郎は、そんなだらしのない男ではないからだ。

 恩師の汚名を晴らすべく、恭平は旧友の孫六と共に調べを進めるが、ある日、その孫六の遺骸も発見される。
 いったい誰が?何のために?
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 こう書くと、サスペンス色が濃厚な小説に見えるかもしれないが、本書が強調しているのは、やはり「人間」そのものだ。
 この物語に登場する人物は、誰もが皆、過ちを犯し、誰かを激しく妬み、憎み、時に己を蔑んでは自暴自棄になった経験をもつ。そんな感情のもつれあいが殺人事件という最悪の事態につながるのだが、その経緯は実に悲しく虚しい。そのような罪を犯してしまう人間というものに、嫌気がさしてくる。

 しかしそこは葉室作品。どんなに絶望しそうな時でも、必ず希望の薄日を差し込んでくれる。
 
 たとえば、恭平が、ある武家の奥方と話すシーン。
 彼女は聡明な女性でありながら、不貞をはたらく夫への憎悪、その相手である美しい女への嫉妬から感情のコントロールに苦しみ、果ては容貌の醜い自分を嫌悪し嘆き悲しむ。
 その様子を見て、恭平は声をかける。自分の不幸な出自から「私も自分のことが大嫌いだ、と思うことがよくある」と語り、つづけて

「自分を嫌ってはいけないのだ。それは自分を大切に思う人の心を大事にしないことになる」

 と。

 そう、この小説はこのように「自分を大切にし、自分を大切に思う人の心も大事にする」人だけが幸福を得る物語なのだ。
 その幸福は、決してすぐに得られるものではない。目に見えて効果があるわけではない。
 しかしその即効性のみを求め、事を急いた者の末路は言うまでもない。

 解説で江上剛氏が、本作について

「人」をじっくりと育てない現代教育へのアンチテーゼにもなっている。

と書いているが、まさにそのとおり。
 柚子の花が咲くまで根気よく人を信じれば、いかに大きなものを得られるか。逆にそれを待たずに目先の幸せだけを追い求めると、いかに大きなものを失うか。本作ではその対称性を、流麗な文章でくっきりと描いている。

 与五郎は、覚書と共に絵図をもっていた。それが干拓地問題の要となると知った与五郎は、他の者に奪われぬよう、絵図を「大切な人」に預けていた。
 その「大切な人」とは誰か。
 すでに読んだ方の多くは、それを知った瞬間に大量の涙を流したことだろう。

 たとえ今生きるのが辛くても、心健やかに待っていれば、必ず喜びの日が訪れる。
 焦ることはない。長期的視野でじっくりと生きようではないか。
 そう言いたくなる、「素晴らしい」の一言に尽きる名作である。

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陽炎の門 葉室麟

 「ふむ、敵でも味方でもないが、しかし、そなたの敵を敵といたすかもしれぬ。そうなれば味方ということであろうか」
(本文引用)
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 結局私は、こういう物語が心底好きなんだろうなぁ・・・。
 上層部の出世争い、派閥間の政争、それを糺そうとする型破りの配下、巧妙なトリック、意外すぎる黒幕、厚き友情、ほんのり恋愛、そして最後に「(たまには)正義は勝つ!」。
 このような要素が備わった小説を読んでいる時間が、私にとって至福の時だ。
 それをコンスタントに叶えてくれるのは、現代小説では何と言っても池井戸潤さんなのだが、時代小説では間違いなく葉室麟さんだ。

 わけても、この「陽炎の門」は絶品中の絶品。
 かつて友を切腹に追い込み、介錯を務め、後に友の娘を妻とした一人の武士が、その友のために何としてでも生き抜こうとする、執念と信念の物語である。


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 舞台は九州・豊後の黒島藩。武士とはいえ軽格の家に生まれ、貧苦にあえいできた桐谷主水は、懸命の働きが認められ、ついに念願の執政入りを果たす。
 しかし藩内には、主水の出世を快く思わない人間が多い。それは主水にこんな噂がささやかれるからだ。

「出世のために友を陥れた」


 遡ること10年前、藩内において、藩主を誹謗する落書が発見される。城では、それを書いた犯人として芳村綱四郎の名が浮上する。綱四郎は主水の親友であったが、主水は「落書の筆跡が綱四郎のものである」と証言。それが決定打となり、綱四郎は切腹、介錯人として主水が指名される。
 主水は、あの落書は綱四郎のものであると今でも確信をもっているが、自分の証言で友が切腹に追い込まれたことに、今でも心を傷めている。

 また主水は妻として、綱四郎の娘・由布を迎えている。藩主を謗った者の娘に縁談は厳しい、でも主水ならば・・・との周囲の配慮からだった。父親から「決して主水を憎まぬように」と言い聞かされていた由布は、誠実な主水と共に平穏な生活を送る。

 しかし今になり、それを大きく揺るがす事態が起こる。
 何と、由布の弟が主水に仇討をすると言ってきたのだ。

 そのきっかけは、「綱四郎は冤罪である」と訴える一通の手紙だった。差出人の名は「百足」。実はあの落書にも、「百足」の名が記されていた。

 ではこの、今なお生きている「百足」なる人物が、綱四郎を陥れたのか?
 主水も「百足」の罠にはまったのか?
 そしてその「百足」とはいったい誰なのか?

 そこから、主水による「真実を晴らす旅」が始まる。
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 この物語の面白さは、まず何と言っても超絶技巧ともいえるハイレベルな謎解きだ。
 綱四郎と主水の運命を決めた落書、そして今回の手紙、それぞれの書き手について主水は関係者に聞き込みをしてまわるが、そこから少しず~つ少しず~つ明かされて得た結果は、男子体操の「カサマツ宙返り」(=側転跳び1/4ひねり前方かかえ込み宙返り1/2ひねり後方かかえ込み宙返り)かというぐらいの、ひねりにひねりにひねった驚きの着地だ。

 もちろんそこまで高難度の技となるのは、城内での派閥争いや政争、出世競争によるものも大きいのだが、この物語は、そんな時代小説というバーをはるかに飛び越えている点が見どころ。

 なかでも、藩主が主水の付き人として送った、与十郎という男の暗躍が見逃せない。途中、由布に対する横恋慕を打ち明け、由布を主水から引き離すという突飛な行動に出る与十郎だが、彼はいったい主水の味方なのか敵なのか、敵の敵なのか。読まれる際には、ぜひその動向をつぶさにチェックしていただきたい。

 そして黒幕が暴かれてからの主水の決意、それに突き動かされる者達の情動、ギリギリまで(読者も主水も)予想しえなかった「本当の」復讐劇は、まさに圧巻。
 そのスリリングさにはもう、心が刀で縫い付けられたように読みふけった。「そう、そうなのよ、こういう読書がしたかったのよ!私は!」と思わず握り拳を作りながら叫んでしまった(実話)。

 時代小説ということで「読むのが難しそう・・・」と敬遠される方も多いと思う(実際、太郎左衛門や清右衛門などちょっとややこしい名前もある)が、そんな方にもぜひ、現代の社会派ミステリーといった感覚で読んでほしい。
 時代や分野を越えた小説の面白さというものを、存分に堪能できるはずだ。

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花や散るらん 葉室麟

 「わたしはこの世に美しいものを仰山残したいと思うてます。それだけが仕事で、他のことは遊びや」
 「光琳殿は美しいものだけのために生きておられるのですか」
 「そらそうどす。ひとなんて皆、死んでしまいます。美しいものだけが永遠に残るんどす」

 (本文引用)
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 2012年12月9日の日本経済新聞朝刊で、野田秀樹氏が中村勘三郎さんへの追悼文を寄せていた。
 
 そのなかに、野田氏が書いた芝居「研辰の討たれ」で勘三郎さんが語ったセリフがある。

 「まだまだ生きてえ、死にたくねえ、生きてえ、生きてえ、散りたくねえ、と思って散った紅葉の方がどれだけ多くござんしょ」(記事本文引用)。

 これを読み、私は涙が止まらなかった。
 このセリフは飽くまで劇の中の言葉だ。
 しかしこれを追悼文に用いたということは、すなわち野田さんが友の死を心から悲しみ悔やんでいること・・・そのように受け取れたからだ。
 私は、新聞を固く握り締めながらただ立ち尽くし涙した。


 それと同時に、ふとある一冊の本を思い出した。
 葉室麟著「花や散るらん」
 美しい生き方、武士道をどこまでも追い求めた人間たちによる、信念と命舞い散る物語である。
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 時は元禄。
 牢人・雨宮蔵人と妻・咲弥、そして3歳になる娘・香也の3人は、京の郊外でひっそりと暮らしていた。
 そんな平穏な日々の中、蔵人のもとにある依頼が持ち込まれる。

 将軍綱吉の生母桂昌院の叙任のために、あの吉良上野介が奇策を講じている。
 ついてはそれを阻止するために、吉良の家臣を斬ってくれぬか-というのである。
 
 その話をきっかけに、蔵人と咲弥は幕府と朝廷の権威争い、ついには松の廊下の刃傷沙汰、赤穂浪士の討ち入りにまで巻き込まれてしまう。
 そして背後には、幼な子の命を狙う影も・・・。

 交錯する謀略のなか、彼らは愛する者を最後まで守ることができるのか?
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 見事な小説である。芸術品と言ってもよい。
 
 まず、実在の人物・出来事のなかに架空の人物を織り込ませる技の高度なこと!
 もともと「ベルサイユのばら」が好きなので、このような虚と実が巧みに混在している物語にはたまらない魅力を感じてしまうのだが、これはまた格別。
 
 たとえば、「そもそもなぜ浅野内匠頭は吉良を斬り付けたのか」。
 「遺恨があった」という言葉しか残されておらず、詳しい動機は未だに謎といわれているが、その理由がフィクションと史実とを絡めて納得の行く形で書かれており、読みながら歴史の空白部分を自分なりに染め上げることができる。
 また蔵人と浅野、吉良との意外なつながり、悪役として知られるあの人物のホロリとさせる素顔なども覗くことができ、歴史小説と時代小説のエキスが溶け合うとこんなに美味な小説ができあがるのかと、作者の手腕にただただ驚き感動した。

 もちろん、この小説の面白さはそれだけではない。
 この物語には、虚と実だけでなく、あらゆる信念、思いが交差している。
 
 命を弄ぼうとする者たちと、ただひとつの命を尊び、「忠のためにのみ捨てる」と誓う者たちの交差。
 何を至上とするかが異なる、武士の美学と朝廷の美学の交差。
 和歌を通して伝える、忍ぶ恋心の交差。
 そこに色指す尾形光琳の燕子花。

 それらの織り成す心模様は、さながら黒羽二重にほどこされた錦繍。
 物語中に登場する、富める女たちがまとう「誇りや夢を込めた」衣装のような艶やかさである。

 そんな繊細な美しさが、この小説を芸術品と呼ぶ理由である。
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 命の花が舞い散る「花や散るらん」。
 そしてまだまだ散りたくない、散ってたまるかという思いが雪のように降り積もる「花や散るらん」。

 この名作を再度読みきり、ふとまたあの「まだまだ生きてえ、死にたくねえ、生きてえ、生きてえ、散りたくねえ」のセリフを思い出した。
 そしてかつて大石内蔵助を演じた、勘九郎(当時)さんの姿も。

 恐れながら「散るにはまだ早すぎたのではないか」という悔しい思いも、たしかにある。
 しかし今は、数々の美しいものを残していってくれた中村勘三郎さんに、心より感謝申し上げるとともに哀悼の意を表したい。

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他の葉室麟作品のレビューはこちら→「蜩ノ記」
                       「銀漢の賦」

プロフィール

アコチム

Author:アコチム
反抗期真っ最中の子をもつ、40代主婦の読書録。
「読んで良かった!」と思える本のみ紹介。
つまらなかった本は載せていないので、安心してお読みください。

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